Nikov’s blog

思考の整理 @NyoVh7fiap

頑張りすぎているあなたへ-「頑張る」の再考-

 

 

「頑張れ」

 

という言葉は、小さい頃から何百回も言われてきたと思う。

 

頑張ることで得られる結果もある。

 

一方で、頑張りすぎて潰れてしまう人もいる。

 

この違いは何なのかを考えるために、「頑張る」の意味を再考したいと思う。

 

頑張ることは悪いことではない。

ただ、頑張ることで自分の心身が削られるのであれば、それは注意したほうがいい。

 

そして、頑張れる範囲も人によって違う。

 

誰かが100頑張って100の結果を得られたからといって、別の人は同じ環境でも50しか頑張れない場合もある。なんとか100頑張っても、50の結果しか出ないこともある。

その人のコンディションや環境など要因はさまざまである。

100頑張れる人が50頑張っている人を責める権利はない。

 

「頑張った総量」と「結果」の因果関係を短絡的に結ぶのも非常に危険である。

「結果」には、運やタイミングなどの要素も多分に含まれているからである。

 

頑張ることの意味を否定するつもりはない。

頑張ることによって得られるものはたくさんある。

ただ、頑張りすぎることで失うものがあるのなら、頑張り方は変えたほうがいい。

周りは無責任に、時には善意で、「頑張れ、頑張れ」と言う。そこに悪意はない。

悪意はないからこそ、みんな応えようとする。

 

でもふと立ち止まって考えてみると、頑張りすぎた結果、何もかも失ってしまっても、「頑張れ」といってくれた人たちがどうにかしてくれるわけではない。

多くの場合、個人の力量の責任になる。

 

そうならないために、「頑張る」の意味を考え直す必要があると思う。

 

「頑張る」というのは「心身を削ってでも無理をする」ことではなく、「自分が持っている力を発揮する」ことだと思う。

 

こう考えたとき、頑張る場面になったとき、「自分の持っている力」の範囲で頑張ればいい。何かを失ってまで頑張る必要はない。

まして、周りにもっと頑張れと言われても、自分の持っている力を発揮できていれば、耳を傾けることもない。

 

頑張りすぎた結果、社会からドロップアウトしてしまう人もたくさんいる。

一度ドロップアウトしたら、復帰するまでには、相当の時間と労力がかかる。

復帰してもまたドロップアウトを繰り返してしまうこともある。

 

少しでも生きやすい社会を作っていくためには、「頑張る」の意味を再考する必要があるのではないかと思う。