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Nikov’s blog

思考の整理 @NyoVh7fiap

「許し」という美徳

パワハラモラハラ、セクハラ、DV、いじめ、児童虐待…社会にはさまざまな抑圧がはびこっている。

 

自分が被害に合っているという自覚がないこともある。

むしろ、被害に合っているにもかかわらず、自分を責めてしまう場合もある。

 

 あるいは、愛情や友情と混同させられることで、混乱させられ、優しい言葉にすがってしまう。

 

ただし、加害という「行為」そのものは、その人の人格や関係性によって、相殺されるわけではない。

 

「許す」という行為は、社会では美徳とされがちである。

もちろん「許す」ことによって、関係が再構築できたり、相手の行動が改善されたりすることもある。「許せる」ことはすごい力だと思う。

 

ただし、それは被害者の心の傷が、本当の意味で癒えてからでないといけない。

そして、本人の意思のみに委ねられるべきである。

けして、周りの人が、「許す」ことを強要することはあってはならない。

「許す」かどうかを決める権利は、抑圧されている側にある。

無理に「許そう」としてしまうと、必ずどこかに歪みが生じる。

 

 許せない自分の「感情」に罪悪感を覚えなくてもいい。

「許しという美徳」から解放される権利が、被害者にはある。