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Nikov’s blog

思考の整理 @NyoVh7fiap

高畑容疑者と発達障害

 

強姦致傷事件を起こした高畑容疑者。

 

ネットで「高畑容疑者 発達障害」で検索すると、

 

「高畑容疑者は、発達障害では⁉︎」

「奇行は発達障害だからか⁉︎」

「幼少時からの気になるエピソード!」

 

といった記事やブログが散見される。

一部メディアでも報道された。

 

なぜこのような現象が起きるのか。

 

 

発達障害の人口比率は、おおよそ5%〜10%

(諸説ありますが、ここでは深く言及しません)

 

ちなみに、血液型がAB型の人口比率は、9〜10%

 

しかし、重大事件や性犯罪が起きた時に、

「容疑者はAB型だった!」

という報道は、絶対にされません。

 

なぜか。

それは「AB型と犯罪に明白な相関性がない」という共通理解があるから。

 

ではなぜ、「発達障害と犯罪に明白な相関性がある」というデータの有無に関わらず、

発達障害=犯罪予備軍

というような間違った認識が、当たり前のように流布されるのか。

 

これは、

「 犯罪を犯すような人は、発達障害だった」

と認識することで、

「自分とは違う」

と安心したい差別意識「排除思想」から来ているのではないか。

 

 

発達障害は、生まれつき持っている発達の特性や偏りと、育ちの環境の中での、不適応行動や困り感から、診断がなされる。

 

 

そして、発達の特性や偏りは、大なり小なり、誰もが持っている。

 

 足が速い人もいれば、遅い人もいる。

 

歌がうまい人がいれば、苦手な人もいる。

 

絵がうまい人がいれば、苦手な人もいる。

 

同様に、

 

コミュニケーションが得意な人がいれば、苦手な人もいる。

 

先の見通しを立てたり、状況判断が得意な人がいれば、苦手な人もいる。

 

物事にこだわる人がいれば、こだわらない人もいる。

 

 

では、なぜわざわざ発達障害の診断が必要なのか。

 

もう一度言いますが、発達の特性や偏りは誰にでもあります。

ただし、そのバランスは人それぞれです。

 

発達の特性や偏りのアンバランスさが大きければ大きいほど、学校や社会で適応するためのハードルがあがります。

なぜなら、学校や社会はほとんどの場合、マジョリティ側が生きやすいように設計されているから。

 

仮に、発達の偏りや特性が全く同じ人物がいたとしても、養育環境や社会状況によっては、診断がつく人とつかない人がいる。

なぜなら、環境によって、本人の困り感や不適応行動のあり方は全く異なってくるから。

 

環境が整っていて、本人の困り感や不適応行動がなければ、発達障害の診断はおりない。

診断がおりないどころか、専門機関にかかることもなく、社会適応していく可能性さえある。

(環境による二次的トラウマや自己肯定感の話も深く関連していますが、話が長くなるので、ここでは言及しません)

 

そう考えると、障害そのものが、個人の側にあるのではなく、社会や環境の側にあると言える。

「障害児者が社会に適応していく」だけではなく、「社会が障害に適応していく」という視点。

 

 

話を戻します。

 

なぜ、発達障害の診断が必要なのか。

 

それは、本人の困り感や生きづらさ、不適応行動の要因を捉えて、環境を整えていくため。

 

 環境の設定や個別的配慮によって、本人の困り感や不適応行動は、大きく変わります。

 

具体的には、

など。 

 

 

今回のような、発達障害への無理解や偏見、差別を無くしていくためには、個人や保護者の努力だけではなく、社会が意識を変えていく必要がある。